三豊同窓会/観一同窓会東京支部の小史
●昭和30年5月
会長(初代)を加藤藤太郎氏が務め、神崎製紙内に事務局を置き、『三豊同窓会東京支部員名簿』(第1号)を発行
●昭和40年5月
会長(2代)を大平正芳氏が務め、三越秘書室内に事務局を置き、『三豊同窓会東京支部員名簿』(第2号)を発行
●昭和41年7月1日
会長(3代)を松田伊三雄氏が務め、三越本店で総会を開催。記録上は、これが初めての総会
この当時の状況について、高橋達氏(三中40回)が平成21年度『燧』での特集の鼎談(48ページ)において次のように述べている。
「ある日突然信さん(注:横山信二郎氏=三中22回)から『日本橋三越大食堂』に一緒に来いとの命があり、三中東京同窓会の初の総会で、加藤藤太郎、松田伊三雄(三中10回)三越社長、岸井寿郎、佐野増彦など重鎮がずらりといて、この時松田三越社長が東京同窓会長に就任し、その後総会は毎年日本橋三越大食堂で行なわれるようになった。三越大食堂にとって午後6時は一番のかき入れ時なのにクローズして一田舎の同窓会が借り切るというのは全く異例のことであった。同窓会の事務局は本店秘書室という今ではとても考えられないことです」、「三越本店大食堂の料理ですから、旨い料理が腹一杯食える。毎年会員が大幅に増えました」
●昭和42年6月27日
松田伊三雄会長の下、三越本店で総会。また同年11月、『三豊・観一同窓会東京支部員名簿』(第3号)を発行
●昭和43年11月21日
松田伊三雄会長の下、三越本店で総会を開催
●昭和44年6月13日
松田伊三雄会長の下、三越本店で総会。また同年11月、『三豊・観一同窓会東京支部員名簿』(第4号)を発行
●昭和45年5月23日
松田伊三雄会長の下、三越本店で総会を開催
(中略)
●昭和49年6月13日
森誓夫会長(4代)の下、全共連ビル・マツヤサロンで総会を開催。事務局を学苑社に。また同年6月、『三豊中学・観音寺一高同窓会東京支部会員名簿』(5号)発行(学苑社刊)
●昭和50年6月26日
森誓夫会長の下、全共連ビル・マツヤサロンで総会。また同年5月、『三豊中学・観音寺一高同窓会東京支部会員名簿』(6号)発行
●昭和51年6月25日
森誓夫会長の下、全共連ビル・マツヤサロンで総会。また同年、同窓会東京支部会誌『燧』(創刊号)を刊行
以後、『燧』は毎年発行されていて、平成21年10月には第34号が刊行
このように『燧』が毎年欠かさず発行されている背景と意義について、高橋達氏(前出)が『燧』(前出、49ページ)で次のように述べている。
「学苑社の佐野兄弟(注:佐野剛氏、佐野正氏=学苑社社長・観一同窓会東京支部事務局長)のお陰です。毎年の発行は無理だといわれたのを、拝み倒して『今年限りで頼む』と言い続け、今日に至っております。学苑社なくして今日の存在はとても無理でした。継続はまさに力で、『燧』の評判は高く全国高校同窓会の中でも貴重な存在です。(後略)」
(中略)
●昭和56年12月1日
吉田春敏会長(5代)の下、全共連ビル・マツヤサロンで総会。『燧』第6号発行
(中略)
●昭和60年11月18日
田中利治会長(6代)の下、全共連ビル・マツヤサロンで総会。『燧』第10号発行
●昭和61年10月17日
田中利治会長の下、東京大飯店(新宿)で総会。『燧』第11号発行
●昭和62年10月21日
田中利治会長の下、グランドヒル市ヶ谷で総会。『燧』第12号発行
(中略)
●平成2年11月17日
阿部貞市会長(7代)の下、グランドヒル市ヶ谷で総会。『燧』第15号発行
(中略)
●平成14年10月19日
白川文造会長(8代)の下、アルカディア市ヶ谷(私学会館)で総会。『燧』第27号発行
●平成15年11月8日
白川文造会長の下、東海大学校友会館で総会。『燧』第28号発行
●平成16年11月6日
白川文造会長の下、東海大学校友会館で総会。『燧』第29号発行(個人情報保護法の施行なども踏まえて今号より名簿の掲載を取りやめ)
(中略)
●平成21年11月21日
白川文造会長の下、東海大学校友会館で総会。『燧』第34号発行
(中略)
●平成27年11月21日
玉尾皓平会長(9代)の下、東海大学校友会館で総会。『燧』第40号発行
●平成28年11月19日
玉尾皓平会長の下、東海大学校友会館で総会。横組みにするなど誌面刷新・大判化した『燧』第41号発行
(中略)
●令和2年11月21日
青山秀彦氏(観一23回)が会長(10代)に就任。新型コロナウイルス感染症の流行により、同窓会東京支部総会(11月21日予定)が中止となったため、11月21日、東京・港区のアーク森ビルにおいて、新旧会長の引き継ぎ式と会食。母校創立120年を記念した付録=デザイン等公募=をつけた『燧』第45号発行
(以上の参考資料:『燧』第34号)